|
2011年 04月 20日
樹ちゃんは小学校3年生です。
おかっぱ頭を放っぽっているので、前髪っがまつ毛に被っています。お話しするとき、目をぱちぱちさせるので樹ちゃんの前髪もパフパフと揺れます。 樹ちゃんは、お昼近くになってから、学校へ行きます。1年生からずっとです。 樹ちゃんは私の仕事場の窓の下を通って行きます。1年生からずっとですので、樹ちゃんと私は顔見知りになりました。お話しする間柄になっていました。11時を過ぎいても、私は「おはよ」と声をかけます。樹ちゃんはゆっくり歩きます。あわてて学校に行ったりなんかしません。水色のランドセルはカタリとも音を立てません。窓から乗り出して手を出せば、パチンと触って行く時もありますし、なーんにも言わないで、睨みつけて通り過ぎることもありました。 樹ちゃんにはお父さんがありません。お母さんは、朝、とても早い時間に家を出て、遅くまで働き詰めなのだそうです。 寒い真冬の朝、その日は早く家を出たのか、車を降りて仕事場へ行く私と樹ちゃんが一緒になりました。手をつないで歩きました。そしたら、ちょっと立ち止まって、スポリとゴム長靴から足を出して「今日は靴下履いてない。」と言うのです。「洗ったんだけど、乾かなかった。」と言ったのです。 私は仕事場の休憩室戸口に樹ちゃんを連れて行き、ロッカーの中から靴下を持ってきて、樹ちゃんに履かせました。 小学校の先生が車を止める駐車場は、休憩室の戸口の前のイタヤ楓の並木の向こうで、樹ちゃんの担任の先生が、私たちの姿を見つけて「こら、樹!!」と、怒って声をかけました。 担任の先生は、絵本のおじいちゃんと同じ眉毛をした優しい人で、それから時々帰り際に会ったりすると、樹ちゃんの話をするようになりました。 「樹は嘘つきなんだ、『何で遅れたんだ?』っておこるしょ?したら、『便所掃除してた』って言うんだもの。」と言いますが、時々お家に迎えに行っているのです。 「あいつの家いったらすごいんだ。天井全部から洗濯物ぶら下がってんだ。その下くぐって行かないとなんないんだも、やんやん。」 「せんせ、私の家もそうよ。でもそれって、ちゃんとお洗濯したもの着せてもらってるってことだもね。」 樹ちゃんのお母さんは、私よりも立派だと、私は思います。 あれは、去年の九月の始めだったでしょうか、樹ちゃんが、ゆっくり歩いて来て、私の窓のところで立ち止まり、そしてじっとして動かず、こちらを見ています。 「樹ちゃん、おはよ。」と窓を開けると、「今日雨、降る?」と聞きますから、「降るかもしれないね。」と言うと、それだったら学校に行けない、と言うのです。「傘を忘れて来たから、学校へは行けない」というのです。 学校はもうすぐそこなのです。 「大丈夫よ樹ちゃん。雨降ってもね、少しくらい濡れたって、平気だって。お歌うたって、濡れながら帰りなさい。」と私が言うと、「いいやだめなの。」と言います。 もごもごって、何か言ったので聞き返すと、 「きゅうりならいいけどね。人間はダメなの。」と言いました。 樹ちゃんは見たことがあるのでしょう。夏休みの学校菜園でしょうか、朝早く、何の加減かその日は早起きして、樹ちゃんは露に濡れたみずみずしいきゅうりを見たのでしょう。つぶつぶと、光る水玉を見たのでしょう。きっと見ていたのでしょう。 私の職場はこの4月で閉鎖になりました。樹ちゃんは、イタヤ楓の並木の下を、まだゆっくり歩いているでしょうか。樹の上に降る雨は、少女をみずみずしく育ててくれるでしょうか。
by hiranuma-nasubi
| 2011-04-20 21:46
| ひとりごと
|
ファン申請 |
||