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2015年 02月 13日
去年の夏の始め、東京で暮らしていた次郎から、帰りたいと電話があって、一緒に暮らしていた兄と大喧嘩でもしたかと、ハラハラしたが、もしそんな事があっても親には言わないだろうと、心配だったがなにも聞かないで、良いよと言ったものの、喧嘩ではないとして、たった一年で都落ちするって、情けないなーと思ったり、帰って来るのが、あまり嬉しくなかった。
帰りが何時になるか聞くと、「これから、兄ちゃんの自転車で九州までいって、沖縄行けたらいくけど、レディー.ガガのコンサートまでに東京戻りたいから沖縄は無理かも。日本半周してから帰るから。あ、それからお母さん、九州のおじいちゃんのお墓、どこだっけ。」と言う。 色々なことが怒濤のように身に起こっていて、私は、婚家の菩提寺の名前をボコリと失念してしまっていた。 あとで思い出して菩提寺と、次郎が4歳でよく一人で行けたものと思う、おじいちゃんの家から、北海道では考えられない、田舎道を、クリークに架かる木橋を渡ったり、楠の大きく広げた光る葉のしたをくぐって、日に何度も何度も通った日枝神社をGoogle地図でメールしてやったら、それきりなんの連絡もなく、ピンポンと鳴ったときには、どこのインドの人が訪ねてきたかと思うほど、痩せて真っ黒に日焼けした次郎が立っていた。 次郎が東京へ行く前は寝てばかりいた。大学受験もしないで、かといて働きもしなかった。 自転車の旅から帰ってきても、寝てばかりいた。 3か月寝続けて、一人住まう部屋を借りることになった。 今そこからアルバイトに出掛け、私は、厄介になって病院に通っている。 この子は将来どうなるのだろうと、心配になる。たまらなくなる。 しかし旅のはなしをしてくれるなかで、根拠はないが、何か大丈夫かも知れないと言う思いが湧いてきた。それはふたつ。 先祖の墓まで行ってみたのと、広島を「行っておかなきゃならないところ」と言ったことだった。たったそれだけのことだけど、この子は大丈夫と思えてくる、そして間違っていないか、天に行った人たちに教えて欲しいものと、思うのである。 聞いても教えてくれないないのは、そうなのだけれど。
by hiranuma-nasubi
| 2015-02-13 21:56
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